30年以上会社を支えてきたベテラン社員が感じる、大久保社長の教育とその魅力

【PROFILE】
磯崎都美子(いそざき・とみこ)。経理部 顧問。
1970年に税理士事務所に入所し、9年後の1985年に有限会社大久保基礎 入社。経理事務を一人で取り仕切る。1989年株式会社大久保恒産に組織及び商号変更手続きを主導する。以後、経理部長として、財務、税務、社会保険、労災事務の責任者として従事する。2011年より、一大プロジェクトとして行った、事務の基幹システム導入に、経理責任者として携わり、第一次開発の完成をみた。2015年10月、後進に道を譲り、顧問となり、現在に至る。好きな言葉「冬は必ず春となる」。
磯崎さんは、前職は何をされていたんですか?
前職は、税理士事務所に勤めていて、大久保恒産はお客様でした。大久保社長と初めて会った時のことは今でも覚えていますよ。税理士事務所にいらっしゃるお客様って、基本はみなさんスーツですよね。そんな中、大久保社長は作業着でいらしたので、「現場で働く怖い人だー!」と、とにかく怖かったのを覚えています(笑)。
ところが、そのイメージはすぐに一変しました。「私は酒が飲めなくて、ケーキが大好きなんですよ!」と言って、あの笑顔で、5人しかいない事務所にとてもたくさんケーキを持ってきたんです(笑)。大久保社長のとても気さくであたたかい人間性に触れて、ギャップに驚きました。
大久保社長には、そんな一面があるんですね。大久保恒産に転職されたのはどうしてですか?
当時大久保恒産で経理を担当されていた方が急に辞める事になったらしく、社長が事務所に「誰かいい人いませんか?」と相談しにいらっしゃったことがきっかけです。
私は税理士事務所で働くうちに、事務所で数字の処理をするのではなく、実際にお金が動く企業の中に入って働きたいと思うようになっていたので、すぐに手を挙げました。
当初は事務所から出向という形で働く予定だったのですが、社長に直接「雇ってください」と直談判して大久保恒産に入社しました。
そうだったんですね。30年以上大久保恒産を見守ってこられたということで、色々なことがあったと思います。
そうですね。まだ、社長が現場監督も、職人も、請求書の発行も、要するに現場に関することは全部ご自身でやっていて、事務も私一人しかいなかった頃からおりますので、本当に色々なことがありました。
職人がオールボイコットをした時は、一現場一現場に謝りに行っていましたし、職人さん同士が連れ立って独立してしまい、職人さんがごそっといなくなってしまったこともありました。さすがの社長も、机で頭を抱えていましたね。しかし、驚いたのは、そういった場合でも、月の売上は決して下がらなかったことです。むしろ、盛り返していました。プライベートの時間よりも、自分の生活よりも、何よりも仕事を優先して働かれていました。そこには、「従業員、そしてその家族の生活も全て自分が支えているんだ」という経営者としての覚悟があったからこそだと思います。
「経営者としての覚悟」ですか?
はい。社長はよく「従業員×3」と仰っているのですが、「従業員だけでなく、その家族の幸せも見ているんだ」という意識がとても強い方です。それ故、社員の家族も本当に大事にしてくださいます。
今の規模になってからはさすがにできていないのですが、以前は社員ひとりひとりの家へ家庭訪問をしていたんですよ!大久保恒産へ転職したばかりの頃、社長が「磯崎さんのところは、まだ家庭訪問をしていなかったな」って仰った時は本当に驚きました。だって、家庭訪問だなんて、なんだか学校みたいじゃないですか(笑)。
でも、大久保社長のその「社員のことをもっと知りたい」、「社員の家族も社員同然大切にする」という姿勢は、社員として、とても嬉しかったですね。
磯崎さんと大久保社長。
素敵ですね。「大久保恒産らしいな」と感じたエピソードはありますか?
その時は夏の日で、社長はランニングシャツ一枚という格好だったのですが、会社に戻ってきたらなんとシャツがビリビリに破けていたんです。びっくりして話を聞いたら、若い職人さんと社長が資材置場で喧嘩になってしまい、部材の鉄パイプで傷つけられたと仰っていました。私は「その子はクビだな」と思いました。普通はそう考えますよね、だって社長を傷つけたんですから。さらに驚いたのは、その翌日です。なんと、その職人さんは当たり前のように出勤してきて、社長といつもどおりの調子で会話をしていました。
その時に、私は感じました。「ああ、昨日の喧嘩は親子喧嘩だったんだな」と。大久保恒産の職人をただ「仕事が出来る社会人」にするのではなく、「一人の人間として立派な大人に育てよう」という責任と覚悟を持っているからこそ、本気で叱るし、何かを成し遂げた時は一緒に体いっぱい喜ぶ。実際、その若い職人さんは社長の事を「親父」と呼んでいました。自分の父親のように慕っていたんでしょうね。
社長と職人たちは、そんな関係性が築けているから本気でぶつかり合えるんだなと感じたエピソードでした。
そうやって、我が子のように想いながら育てているので、お客様から、職人たちのことをお褒めいただいた時は自分のことのように喜ぶんですよ。「大久保恒産には、素晴らしい職人さんがいらっしゃいますね」「〇〇って職人さんの対応が、すごく良かったよ」などとお褒めいただいたときは、「やったー!」って体いっぱい喜んでいました。
「部下の育成」というよりかは「子育て」という言葉がしっくりきます。愛情深い教育をされているんですね。今後の大久保恒産に期待していることはありますか?
入社してから30年以上経ち、大久保恒産は今では200名以上の社員を抱える会社に成長しました。新たに新社屋も構え、50周年に向けて大久保恒産は次のステージに向かっています。
大久保社長がカリスマ経営者なので、これまでは社長の頭の中で色んな事を判断、決断してきました。ですが、これだけ大きな規模になってくると数値化、システム化していかなければ全社員に対して平等な対応ができなくなってきます。
もちろん採用に対する新しい取り組みもどんどん始まっているのですが、「夢のある退職金制度とは?」「部長への昇格は、何をどこまで出来たらなれるのか?」などなど内部統制していかなければならないと思います。
これは、これからの大久保恒産をどういう方向に発展させていくのかということも見据えた、色々な観点を踏まえながら決めていけなければいけません。
ここは是非、陽ちゃん(大久保陽介さん・写真右)の時代に整備していってもらいたいですね。一人の感情に左右されない、同じことをやったら同じ評価をされる内部統制。陽ちゃんなら出来るし、陽ちゃんにしか出来ないと思います。次の50年に向けて、パワーアップしていく大久保恒産を楽しみにしています。
磯崎さん、ありがとうございました!