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2016.2.29
社員紹介

番頭になりたい人に知ってもらいたい、一流の番頭に必要な覚悟とは?

大久保恒産の小池番頭の運転中の笑顔

【PROFILE】
小池 忠彦(こいけ・ただひこ)。高校卒業後、20歳から美容師として仕事をするが、1年後に美容師の仕事を辞め、2001年に大久保恒産の職人として働く。2005年に一度退社し、5年間不動産の営業を行う。2010年に大久保恒産に再び職人として入社し、2015年から現職である番頭になる。

今回紹介するのは、大久保恒産の番頭「小池忠彦」さんです。美容師・職人・営業マンなど様々な職種を経験し、多くの企業を見てきた小池さん。最終的に大久保恒産を選んだ理由は何なのか?大久保恒産で働くやりがいは?などなど気になる話題を語っていただきました!
※番頭ってなに?と気になる方は、【職場紹介シリーズ】番頭の1日をご一読ください。

美容師時代に感じた嫌なこと

今でこそ大久保恒産の番頭として働いていますが、僕は元美容師なんです。

高校卒業後、20歳から美容師として働き始めました。当時は「カリスマ美容師」がもてはやされていた時代。お洒落や流行に興味があった僕も影響されて始めたのですが、なかなか楽しく仕事をしていたと思います。でも、衝撃的なことが起こったせいで辞めることになってしまったんです。

その日はお店がすごく混んでいました。僕たちアシスタントの仕事はお客さまの髪を途中まで整えて、担当者にパスすること。最後の仕上げは担当者が行うと決まっていました。後はヘアワックスをつけて終了、というお客さまがいらっしゃったのですが、混雑のせいで1時間もお待たせしてしまったんです。

本来なら5分で終わるところなので当然お客さまは怒ります。僕も担当者と一緒にお詫びをしました。そして閉店後、担当者がボソッと言ったんです。「あの人が来なくなってもうちの店は潰れないから大したことない」って。

うわ、なんだよって一気に冷めました。お客様を大切にできない人の下についても意味が無いと思って、辞めることにしたんです。

大久保恒産との出会い

美容師を辞めた後は、就職のあてもなくアルバイトをして生活していました。何となく稼げる仕事に就ければいいかなと漠然と思っていた時期です。

そんなとき、中学の同級生だった山口くんと偶然会う機会がありました。事情を話した僕に山口くんが言ってくれたのは、「うち(大久保恒産)においでよ」という一言。彼は10代から大久保恒産で職人として働いていたんです。

「小池は野球をずっと続けていたから体力もあるし、向いているんじゃない?足場職人は稼げる仕事だよ」

なるほど大久保恒産は稼げる会社なのか。ならやってみるか、と気軽な気持ちで入社したのが大久保恒産との出会いでした。

大久保恒産での職人時代

職人をやっていたときから大久保恒産での毎日は充実していましたね。もちろん力仕事だから体は疲れるし、雨や雪の時は一苦労です。だけど辞めたいと思ったことは一度もなかった。学校の同級生みたいに仲の良い仕事仲間と一緒に汗を流すことが本当に気持ちよかったんです。

大久保恒産の番頭小池忠彦さん紹介記事における解体中写真

22歳で大久保恒産に入社して、3年間がむしゃらに働きました。そうしたら、やりすぎて腰を痛めちゃったんです。

不動産の営業に

25歳で腰を痛めてしまったので、転職を考えました。不動産売買の元請けさんの会社がちょうど営業職を募集していたので、周囲の人に転職を考えていると正直に話したんです。新しい場所でこういう仕事をやっていきたいと話す僕を、大久保恒産の仲間たちは快く送り出してくれました。

こうした経緯で僕は5年間営業として働くことになります。人と話すのが好きなタイプなので仕事はうまくやっていました。たまに大久保恒産と取引したりして、辞めた後でも良い関係性を築けていくことができていたのは幸せでした。職人とは違った側面から家を建てるまでのプロセスに携わることができたので、とても勉強になった5年間でしたね。

でも、結局会社を辞めることになってしまいました。理由は人間関係です。営業マンを辞めてつくづく思ったのは「人を大事にする会社が一番だなあ」ということ。それで思い浮かんだ会社が大久保恒産だったんです。

大久保恒産に戻る

職人時代から感じていたことですが、大久保恒産は本当に「人が良い」会社です。社長を始め、副社長、番頭、職人仲間、みんなが人として素晴らしいと思います。元請けさんやお客様に対して丁寧に接するのはもちろんだけど、大久保恒産は社員や仲間への気持ちが熱い会社です。

例えば、安全大会の時。(※安全大会とは、月に1度、工事に関わる部署の人たちが集まり、安全に関する意識を高めるため、意見交換や安全報告を行う会。各部署ごとに開かれ、総勢約200名参加する)普通の会社は「職人さん、きちんとやりなさい」と職人だけ注意することが多いんです。でも大久保恒産では社長や当時の専務が「安全対策は職人だけの仕事じゃないだろう。会社にも責任がある」と職人の前で社員を注意してくれるんです。職人からすると自分たちのことをよく見てくれているという気持ちになって嬉しいんですよね。

大久保恒産の小池番頭紹介記事での安全大会での風景

大久保恒産では日常の何気ない場面でも、人の良さが伝わってきます。僕が職人だったとき、本社に顔を出すのは図面を取りにいくなどほんの少しの時間だけでした。それでも挨拶は絶対に欠かさないし、必ずお茶を出して笑顔をかけてくれる。「行ってらっしゃい!頑張ってね!」とその場にいる全員が顔をこっちに向けて気持ちの良い挨拶をしてくれる会社はそんなに多くないと思います。良い会社だなと常に感じていたから、キツい仕事でも踏ん張れていたのだと思います。

営業を辞めた時は、違う会社でもう一度営業を始めようと考えたこともありました。営業職は自分に向いていると思ったし、給料も良いからです。でも、今回は「いくら稼げるか」や「福利厚生」といった条件で仕事を選ぼうとは思わなかった。「人」で選びました。あたたかい人ばかりがいる会社だから、もう一度大久保恒産で働きたいなと思ったんです。

唯一不安だったのが腰痛なんだけど、年の功か、痛めないやり方を覚えたみたいです。全く問題無く職人として復帰できました。痛むどころか更にパワーアップして洗練された動きになった気さえします(笑)。

番頭の道へ

大久保恒産で再び働き始めたのは34歳の時でした。一度辞めた会社に戻るのはハードルが高いのでは?と思う人もいるかもしれませんが、大久保恒産では全くそんな心配はありませんでした。みんな「お帰り!」と何事もなかったかのように迎え入れてくれました。それくらい、一緒に汗を流した経験が生む絆は強いのだと思います。

番頭になったのは働き始めて4、5年経った後、2015年の8月です。きっかけは大ベテランの番頭の先輩が病気になったことでした。職人ながらに番頭は人手不足で大変そうだと思っていた僕は「自分もそろそろ40歳だし、番頭をやろうかな…」と冗談交じりに言ってみたんです。すると周りが「やってみろよ!」と背中を押してくれました。

大久保恒産の小池忠彦番頭の仕事紹介記事における集合写真

番頭という仕事は、調整役。関わるのは大久保恒産の職人はもちろん、元請けの現場監督や大工さん、お客様など様々です。現場では連絡ミスや共有漏れ、突発的なスケジュール変更など様々なトラブルが起こるので、みんなの間に入って問題を解決して、大久保恒産の職人たちが作業に集中できる環境をつくるのが番頭の役目です。

大久保恒産の番頭小池忠彦さん紹介記事における職人との打ち合わせ2

大久保恒産の花形はいつでも「職人」です。僕たち番頭の仕事は足場を組む職人たちをサポートすること。

大久保恒産の番頭小池忠彦さん紹介記事における職人との打ち合わせ

番頭が表舞台で褒めていただける機会は多くありません。高い足場を組むと「こんな高い所にすごい!」と言ってもらえることがありますが、それは職人に対しての賞賛であって番頭に対してではない。「じゃあ、番頭の仕事は大したことがないのか?」というと決してそんなことはありません。

「職人の家族まで背負う覚悟で」番頭をやっている

番頭の仕事に、現場の下見があります。足場を組み立てる前の現場に行き、色々な場所の寸法を測って図面に書き込んだり、現場の写真を撮影したりする作業です。

大久保恒産の小池番頭による測量

一見地味に見える仕事だけど、番頭が作成した図面をもとに職人は必要な部材を用意するんです。この寸法だとあの大きさの部材がこのくらいの量必要だろうと頭で計算する。この計算が上手くいかないと、現場に行っても部材が足りず作業ができない!という致命的なミスになります。つまり番頭の仕事は、「職人が仕事をできるか」つまり、彼らがいくら稼げるかに直結するんです。番頭の仕事一つひとつが大久保恒産を支える仕事だと僕は自負しています。

大久保恒産の小池番頭による図面の書き込み

数ある番頭の役割で一番大事なのは職人たちの心のケアです。まずは、彼らと関係性を築くことから始まります。事務所や現場でコーヒを飲みながら仕事や家族の話をしたり、くだらないことで笑ったり、後輩をいじったりして徐々に信頼を得ていくのが大事です。

大久保恒産の番頭小池忠彦さん紹介記事における職人との笑顔

職人の表情を読み取って、疲れているのか、仕事がもっと欲しいのか、悩んでいるのかを考えます。簡単な仕事ばかり割り振っていたら職人の技術が向上しないので、彼らが根を上げない程度の厳しい仕事を入れて成長の機会を作ったりします。多少きつくても頑張るか!とテンションを上げ続けるよう工夫しないといけません。

僕は職人だけでなく、彼らの家族まで背負っていると思って仕事をしています。番頭である以上、そのぐらいの意識が無いとダメだと思っています。

番頭は野球のキャッチャー

番頭の仕事は職人の管理の他に、見積もりなどのお金の管理や営業、現場の下見など多岐に渡ります。現場に行って職人の手伝いをすることもしょっちゅうなので、番頭になった今でも足場に登ります。

職人の時は足場を組み終わった時の達成感がやりがいでしたが、番頭の楽しさは仕事をうまく回せた時にやってきます。

例えば1日に10個の現場を回す場合、いかに予定を入れれば効率的に仕事が終わるかを考えるのがパズルのようで面白いんです。この職人さんは必ずこの現場に必要という縛りがあったり、渋滞状況を加味して時間帯を考えたりして、段取りをその日の朝に組むんです。綺麗に組めたと思っても、現場では毎日トラブルが起こります。足場を組む敷地の目の前の道路で緊急水道工事が行われて作業ができないとか。そういう時は職人に休憩をとってもらっている間に次の現場を急いで探します。

大久保恒産の番頭小池忠彦さん紹介記事における電話中の写真

そうやって突発的な問題に機転を利かせて対処したり、予想通りに事が進んで全体をコントロールできたりした時に喜びや達成感を感じます。僕はずっと野球でキャッチャーをしていたのですが、番頭とキャッチャーは似ているかもしれません。ピッチャーは全体を把握して指示をしたり、選手の顔色を読み取ったり、ピッチングを組み立てたり、投手のモチベーションを管理したり、主審に配慮したりしますよね。昔からそういうことが好きだったし、向いていんだと思います。

大久保恒産の番頭小池忠彦さん紹介記事における野球の写真
写真後列の中央がキャッチャーをやっていた頃の小池番頭

若い人に向けて

番頭の仕事って大変そうと思うかもしれませんが、とても楽しいですよ。僕は大久保恒産という会社が好きです。いい人たちと働いているという実感があるので、何の苦痛も感じていません。今、自分がやるべきことをきちんと無駄なくこなしていくだけです。大久保恒産で働く若手たちや、今後入社する若い人たちが下を向いてしまうことがないように、常に「やってやるぞ!」という気概を持てるように、番頭としてサポートしてあげたいと思っています。

大久保恒産の小池番頭の運転中の笑顔

編集後記

小池番頭の記事はいかがでしたでしょうか?

実は二人の娘さんの父親である小池番頭。
平日のお昼休憩は奥様手作りのお弁当を食べ、休日は家族サービスを欠かさない素敵なお父さんでした!

大久保恒産の番頭の仕事紹介記事における小池さんの休日写真

「娘が肩を揉んでくれるのが嬉しい」とニコニコ話す小池番頭の元気の源は、家族なんですね。
ご自身の家族はもちろん、職人の家族まで背負う覚悟で番頭をしているという小池さんの働く様子はとてもかっこよかったです!

番頭に興味のある方は、ぜひ【職場紹介シリーズ】番頭の1日もご一読くださいね。


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