ベテラン勢にも恐怖した時代があった!?今と昔で異なる、職人同士の師弟関係とは

【PROFILE】
三井 雅樹(みい・まさき)。大久保恒産 法人営業部 部長。高校卒業後約10年間は電気工事関係の仕事に従事し、1998年6月に中途採用で大久保恒産に入社。1969年東京都大田区生まれ。
大久保恒産の法人営業部部長として、多くの部下をまとめられている三井さん。以前インタビューを行った際は低層工事部 副部長でしたが、そこから部署や役職が変わり、見える景色はどのように変化されたのでしょうか。三井さんにズバリ、今の大久保恒産での仕事を通して感じることをお伺いしました!
三井さん、本日はよろしくお願いします!前回のインタビュー時は低層工事部所属でしたが、現在は法人営業部所属ですね。環境の違いによって、仕事ではどのような変化がありましたか?
一番の変化は、俺自身もそうだし、職人もそうだけど、本当に会社に甘えていたんだなっていうのを痛感したことだね。低層工事部時代は大久保恒産の本体の工事を扱っていて、今は外注さん相手に仕事をやっているけど、それを強く感じるよ。
これが一番決定的だったのは、資材のこと。
うちは潤沢な資材が会社にあって、何を使っても大丈夫だし、この資材がないから買ってくれって頼んだら買ってくれて、なんでも揃えちゃう。それが今の大久保恒産だと当たり前。
メッシュシート一つにしても、すごい綺麗なまま、必ず置場の人が畳んでくれた綺麗なやつが置いてあるでしょ。でも他の会社ってそこまでのお金もないし、キャパもないから、今あるやつで何とかやっていかなくちゃいけないっていうのがすごくあって。
メッシュシート置場の様子
俺がT&Tの杉ちゃん(T&T株式会社 杉崎社長)に言われて心打たれたのは、メッシュシートがすごい汚れたことがあった際に、
「三井さん、このメッシュシートは俺からしたら千円札なんです。1枚の千円札を何枚もぶらさげてるようなものです。それを汚されちゃったら、どう思いますか。お金なんですよ、これは」
って言われたことなんだよね。うちの職人なんてそんなこと一つも考えないでしょう。だからそういう考え方がすごい勉強になるなと。
この部署にきて良かったなっていうのは、以前から会長がずっと「なんでこうなるんだ!」って言ってたことが、ようやくそこで分かったっていうこと。俺も大久保恒産に22年いるけど、ほんとにそれが分かったことが一番良かった。
資材が恵まれている環境は凄いんだなと思ったし、常に仕事もあって、常に潤沢な資材がある。もう、これ以上何もないよねってくらい恵まれてるよ、正直言って。
他の会社だったら、これないからどうしようとか、どこかを払してから架けないとダメだとか、そういうのが本当にある。まぁ、20年くらい前の大久保恒産もそうだったんだけどね。
ほんとにそこはすごい勉強になるし、俺が法人営業部になった後に会長へ言ったのは、法人営業部に誰か工事部の番頭をこさせてもらえれば、勉強になりますよって。俺は本当に勉強になったんですけれどもって、よく会長と話したよ。そこが一番かな。
あとやっぱり職人。
自分が育ててない職人だから、対会社の付き合いになって、その会社と大人と大人の付き合いじゃないけど、そういうとこもすごい勉強になるし、新しい部署というのは本当一つ一つが、とにかく勉強になったなと。
昔の法人工事部は人数が少なく、一人の時間が長かったと聞いていますが、2019年1月・2020年12月の2回の人事異動で部下が増えたそうですね。それによってどのような変化がありましたか?
たぶん会長もみんなも思っていると思うけど、基本俺って一匹狼みたいに思われているところがあって、競馬で言えば一番外枠の18コースをパカパカ一人で走っていくタイプだからね(笑)
それで久々に部下ができて、最初(2019年1月)に工務課と設計課が俺のところ入ってきてくれたから、どういう風にやっていくと一番良いのかな、と考えながらやってるよ。
昔だったら、俺がこうやりたいってことをやらせるだけだったよ。俺がこう言ってるんだから、こうやりゃいいんだよ、みたいなのが俺のタイプだった。
今でも実際はそうなんだけど、そこをずーーーと押さえながら今はやっているから、そういうので部下の使い方っていうのが少し勉強になってきた。
今までの俺がペースを握ってたときにも、俺の下にはいろいろな人がいたけど、そいつらへの対応のときと比べたらたぶん、少しは人当たりも良くなったし(笑)
日々考えながらやってるよなってことを、いろいろやってて感じてるよ。
工事課は、今まで一回も仕事で付き合っていない子たちなんだよね。小池にしろ、津島にしろ、もちろん内藤もそうだよね。
今までは何となく知っていた中で、多少なりとも仕事をした後で下にきたというのがあったけど、今度は全然考え方も全部何にも知らないところで、新しい考え方でやってるから、そのへんで俺の考え方を伝えながら、自分たちの能力や考え方を拾いながらやっていくことも、今はすごい大変。
ただ、間違った方向にいってるとこは、少しずつ修正してあげないといけないからね。
ただ、津島なんかは俺より社歴が長くて24~25年いるんだけど、昔からの大久保恒産の良いところを知っているメンバーだから、俺の中で津島って同期じゃないけど、同士っていう感じかな。
津島さんとは二十年来の仕事仲間なんですね!
津島とは昔一生懸命やっててライバル関係にあったし、工事部の中では津島班と俺の班があって競い合ってた感じだったね。
元々、秋元班に津島がいて、山本班に俺がいたから、ここがすごいライバル感があって。
最近入った人は知らないと思うけど、職人の中で今でもライバル関係はあって、俺は今でも負けたくないっていうのがある。俺は先輩にそういう教育をされてきたから。
以前のインタビューでも、元上司の山本さんのことはお話されていましたね。お二人で海外旅行に行かれた写真も載っていました!
俺の大久保恒産での仕事のやり方、コンセプトは今でも山本さんだからね。
山本さんに仕事を一から十まで教えてもらった。山本さんがいたから俺はここまでできたし、今の俺があるのは本当に山本さんのおかげだと思うんだよね。
俺の中でThe・大久保恒産なんだよ、彼は。だからそれを引き継ぎたいと思っているけど、はたして俺にはどうかな。
当時自分が見たあこがれの先輩に、今の自分がなれているのかということですね。でもきっと、すでに三井さんや名田さん達は、今そういう立場へと徐々になられてきているんじゃないでしょうか。
そういう風な存在になれてたら嬉しいね。
俺は秋元さんや山本さんのような存在になれれば、良いかなと思っている。低層工事の原点はあの二人で、秋元さんと山本さんがやってくれて大きくなっていった感じだから。
もちろん俺とか津島も協力はしているけど、でもあの二人がいなかったら、たぶん今の工事課はないっていうぐらい、すごい人たちだよ。今ではいろいろなところに行っちゃってるけど(笑)
俺もそういう立場になって、そういうのを思いながら、小池や津島と接したい。
できているかどうかは分からないけど、そういう風に見てもらえるようにするには、どうしたら良いかというのを常に考えながら日々仕事をやっているつもりだよ。
三井さんの今の目標は、次のThe・大久保恒産と言える存在になるということですね。
そうなれるなら良いけど、まだそこまでは絶対にいってないと思うね。時代もあると思うし、会社もいろいろ変化してきたからさ。
でもね、今でも俺はずっと忘れちゃいけないと思っているのは、今はもう二人とも大久保恒産にいないけど、でも山本さんと秋元さんって人がいてくれたから、今の会社の土台ができたんだと。俺なんかはそれを後から飾りを付けているだけなんだ、と思っているよ。
あ、この褒めてる部分は、インタビューにあまり載せないほうがいいよ、本人調子に乗るから。この記事を観てるかどうかは、分からないけどさ(笑)
大久保恒産でも、三井さんのことを慕っている後輩は多いですよね。みなさん一目置かれている気がします。怖いというのもありますが(笑)
怖く見えると思うけど、俺がこういうスタイルを貫いているのは、うちの会社って新しい人が入ってきたときに舐められたらダメだ、みたいなところが昔はあって。
だから俺の第一印象はすごく悪いと思う。でも、俺も先輩たちがみんなそうだったから、それを貫いているだけなんだよ(笑)
そういえば経理の人に「すごく喋りづらいオーラが出てますね」って言われたな。初めてその人に話しかけられた言葉が、まさかのそれだったよ。
すごく喋りづらいオーラ出してますねって、初めての会話で言われたんですか(笑)
そう。初めての会話が、すごく喋りづらいオーラ出してますよねって(笑)
でもそういう風に育ってきたし、俺も最初そうされたから。俺こんなに山本さんのことを褒めてるけど、第一印象は最悪だからね。おっかないし、コイツ頭くるなって思ったのが第一印象だったよ。
三井さんが怖いって言うのがすごいですね(笑)
大久保恒産も、昔は怖い人の方が多かったから。秋元さんとかも、おっかなかったしさ。
そういえば、三井さんが大久保恒産へ入社されたきっかけは何だったのでしょうか?
昔電気屋をやっていたんだけど、景気がすごく悪くなる時期があって、電気屋ではちょっと食っていけないかなって。
ちょうどその頃、子どもが生まればっかりで、仕事もなくなっちゃって、毎日遊んでいるような状態が続いてきたときに、大久保恒産にいた知り合いに「うちにくれば」って誘われたんだよね。30歳になる前くらいのときだったかな。
なるほど。そこで山本さんに出会われたのでしょうか?
最初は誘ってくれた知り合いの下で働いていたけど、しばらくして山本さんの下に行けって会長に言われて。おっかないし、全然口も聞いてくれないから、すごい嫌だったんだけど。
それまで1年も一緒に仕事をしていて、会社の机もすぐ近くだったのに、山本さんとは一言も喋ったことがなかった。
その頃の番頭は現場に行くのが当たり前だったんだけど、何にも言わずに勝手に現場の割り当てに俺の名前が書いてあって、何時にここに行くから、とかの説明もなし。どうしたら良いかも分からなかったよね。
でも続けていったら、だんだん溶け込んでいって、ああこの人は良い人なんだなって。仕事にはすごく厳しい人だったけどね。
三井さんも仕事には厳しいですよね。
仕事に対しては、メリハリをしっかり付けた方が良いと俺は思っていて、遊ぶときは極端に遊んで、仕事するときはしっかり仕事しないとな、と。
山本さんの元でもそうで、俺は仕事には厳しいよ、そこだけは覚悟しといてねって言われたのが、最初の一言だったから。それをずっと貫いているっていうか、その言葉が一番響いたかな。
でも普段はすごい遊んでる人なんだよ、あの人(笑)
遊ぶときはすごい極端に遊ぶし、いろんなことも一緒にしたよ。でも仕事になると、人が変わるってわけじゃないけど、すごいまじめだった。
ずっと電気工事をやられてから足場の世界へと入られ、専門知識があった電気工事へは戻りたいと思わなかったのですか?
最初は転職失敗したかなというのも思ったけど、意外とうちの会社にきてから本当にやめようと思ったことは一度もない。
もう身体が疲れちゃってどうしようもないっていうのはあったけど、本当にもうダメだやめようと思ったことは、22年間働いていて一回もないね。
それは何が理由なのでしょうか。
たぶん、日々忙しいのと、あとは何げに仕事内容が面白いからじゃないかな。
やりがいがあるよね、うちの会社って。
世間では、特に若い人だとすぐ仕事をやめてしまう人も多く、やりがいを感じられないという人が多いようですね。三井さんは仕事のやりがいってどういうときに感じられますか?
うーん、難しいよね、それって。数字の達成とか、人によっていろいろなのがあるし。俺なんかは会長に褒められれば嬉しいし、数字目標を達成したときはもちろん嬉しい。
やりがいは自分で見つけるしかないんじゃない、やっぱり。
正直言って仕事ってさ、自分があっている仕事って絶対ないと思うんだよ。
自分であわせるか、自分で考えてやっていかないと絶対ない、と俺の中では思っていて、この仕事あってるよなっていうのは、自分がそこに向かって努力しているからあっているだけであって。だからそういう風に考えながら、自分でやりがいを見つけていくしかないと。
うまく言葉で伝わらないかもだけど、やりがいっていうのは自分で見つけるしかないよね。
若い子なんかは、仕事の目標ってのは上が持っていて、下は持っていないから、上をよく見てあわせるしかないけど。
俺なんかは山本さんがいたから、山本さんの下で、こういう風にやってこうって常に言われていたから、それに対してやりがいを持っていた感じだね。まぁ、そこから自分で班を持ったら盛り上がってきたっていうのもあったし。
大久保恒産に昔からいる番頭の方は、そのような感じがしますね!仕事を一生懸命やられ、やりがいも感じていて、プライベートも楽しまれ充実されていて、と。
切り替えはしっかりとやらないと、仕事をやっていけないからね。特にうちなんかは常に前を向いていかないといけないから、絶対そこは、ハッキリしたほうが良い。
遊ぶときは遊ぶ。仕事するときは仕事する。この切り替えは大事だと思うよ。
それは会長の影響も大きいのでしょうか?
会長の影響もあるね、やっぱり遊ぶときはトコトン遊ばせてくれたから。今は人数も増えているから、なかなか以前のようにはできないだろうけど。
昔は本当にちっちゃい会社だったから、会社のみんなで遊ぶのもよくやったし、まぁこれからもね、そういうのはやってあげたほうが良いんじゃないかなって思うよね。
まぁ焼肉食うだけでも良いしさ。そういうのを何かやってあげるようにして、楽しみを少しずつ増やしてあげないと、若い奴はついていけないと思う。うちの会社は本当にかなり体育会系の会社だから。
その辺は人事部とかそういうのが率先してやってよ(笑)
工事部は工事部でやるだろうけど、会社がこんだけでかくなってるから、工事部だけでなくて、全体で何か社員同士でイベントができると良いね。そうするとまた面白いし、工事部だけ盛り上がってるなっていうのもなくなるだろうし。
そういうのを人事部とかさ、総務部とかが考えてくれるとね。まぁやってくれてるけどね、総務部なんかは食事会とか。そういうのを社員みんなでやれて共有できれば、もうちょっとコミュニケーションも取れるし、楽しみが増えて若い子たちもより仕事ができるんじゃないのかなと思うよ、俺は。
大久保恒産のイベントは、みなさん楽しんでいるのが伝わりますよね。三井さん世代が楽しんでいるから、その楽しみが伝わっている気がします!遊ぶときは遊ぶ、というそのメリハリが良いんですね!
うちの会社も大きくなってきたからね、なかなかできないところもあるけど、そういうのを大事にしていってあげた方が良いかなと思いますね。
若い世代は、考え方も俺なんかの世代と全然違うから、その辺も考えながら日々協力するのも勉強だからさ。やっぱりやり方を変えていかないとさ、ダメなわけでしょ、若い子を育てるには。
俺のときは先輩が右向けって言ったら全員右向く時代だったけど、今はそうじゃないからさ。
そうですね、世代によってそこの考え方は変わりますね。
今の時代だと、多少左向きながらも、右向かせるみたいな。俺らのときは左向いたら怖い先輩に殺されてたよ、そういう時代だったから(笑)
でもうちの会社は、若い奴そんなにやめてないし、みんなガッツがあるよね。それを維持しながら楽しんでいければ良いんじゃないかな。
三井さん、今日はありがとうございました!