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大久保 和男(おおくぼ・かずお) 株式会社大久保恒産の創業者。1942年9月5日、新潟県刈羽郡小国町(現:長岡市小国町)生まれ。大久保和男の父・文太郎は、和男が生まれてまもなく第二次世界大戦に行ったきり、行方不明になり、1952年に文太郎の死亡届を申請。以後、母と姉との親子三人、軍人恩給と生活保護で生計を立てる。その後、18歳の時に親子3人で東京の烏山に上京。いくつかの仕事を経て、1968年に独立。住宅の基礎工事を行う「鳶大久保組」の代表となる。18歳で上京して以来ずっと生活は厳しかったが、独立後4年程で経済的な貧困から脱出。事業拡大に伴い組織変更や事業変更をしながら、1989年に、足場工事を主体とする現在の組織、株式会社大久保恒産となる。その後、バブル崩壊により壊滅的打撃を受け、倒産も視野に入るが、生涯の恩人から資金援助を受け、倒産を回避。その資金を元手に業績を回復、1年後に借り入れた資金を全て返済。1996年には、会社発足以来、最高の売上を計上。バブルによる累積損を一掃。1998年に「売上倍増計画」を目標に据える。この時の売上は10億だったが、その8年後、親会社・子会社を含む売上20億を達成。また、2000年から外国人の労働力に注目し、現在に至るまで、外国人技能実習生の受け入れを積極的に行ってきた。その後、自ら外国人技能実習生の受け入れ組合を立ち上げ、現在では中国とミャンマーから受け入れている。現在では7カ国の外国人が働いている。2010年から2011年までの2年間に、同業である足場工事会社2社をM&Aにて買収。2012年に創業45周年記念式典を横浜アリーナ貸切で開催し、1,300人を動員。2014年には、親会社・子会社を含む売上30億を達成、現在に至る。
私たち大久保恒産は、足場業界、ひいては建設業界全体を活性化させるためには今、何をしなければならないのか。そう考えた時、その一つに「若者の育成」があげられます。昔と異なり、今の社会で、やろうと思ってやれないことはない。どんな壁でも超えられる。しかし、その中で、唯一超えられない壁があるとすれば、それは、「己が創りだした壁」であります。自分で決めた限界。「こんなことはできない」「あんなことはできない」と言った時点で、絶対にできない。どんな壁であったとしても、助け合い、協力し合うことで乗り越えられる。この「助け合いの精神」を持った若者を育てていく。
足場の知識・技術はもちろん、人として器の大きい人間を育てること。これこそが大久保恒産のこれからの使命であると考えております。事業を通して「人を売り込んでいく」社員になること。この人にお願いしたい、◯◯さん次も頼むよ!という状況にしていかなければならない。それには、人としての温かみがなくてはならない。新入社員もそういう人物になってほしいと思います。すぐに戦力にならなくても良い。仕事を覚えて徐々に力になっていく。それが当たり前だと思います。
これから入ってくる新入社員たちは、「大久保恒産が一番良い会社だ」と思って入社します。その責任を、会社として果たさなければならないという風に思います。それは、やったらやった分だけ還元する。どの人も均等に、ということではなく、やった人が報われるような仕組みでなければならない。入社する新卒社員たちは、彼らを育てるために親御さんが一生懸命働き、そのお金で学校に通わせ、育てたお子さんです。彼らを預かるからには、きちんと会社としての責務を果たし、育てていかなければなりません。共に伸びていく。ぜひ、大久保恒産で「共に成長していく一員」になってほしいと思っています。
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